【注意】
こちらの記事はわたしの生い立ちや理念をつづった読み物です。
臨床に生かせるヒントもあるかもしれませんが、理学療法のノウハウを教えるものではありません。
このコラムは、読むか読まないかで成長量が10倍変わります。
はじめに
こんにちは、けんすです。
私は現在30歳、理学療法士9年目です。
- PT
- ライター
- ブロガー
3つの顔を使い分けて自営業者として生活しています。
ありがたいことに、リアルでもネット上でも
「ありがとう」
「けんすさんみたいになりたい」
と言われる機会が増えてきました。
こちらこそ本当にありがとうございます。
確かに、私は理学療法士としては、学会や勉強会に100万近く使っているような浪費家であるため
控えめに言って変態だと自負しています。
でも、私は超劣等生でした。
偏差値46の学校で、ドベを争うわたしがなぜ変われたのか?その方法を教えます。
壮絶な「いじめ」と「わたし」
今の私を説明するには、子供時代までさかのぼります。
島根の田んぼ道やきれいな川、生い茂った山がある田舎で私は育ちました。
大きな田んぼに大きな山を所有したおじいちゃんのもとで育った私は、広大な自然の中で、さまざまなことに興味をもっていました。
- オタマジャクシからカエルになるまでを観察したり、
- レンコンを収穫するために、沼に足をつっこんで引き抜いたり
- ニワトリのもとへ行き、卵を一緒に取ったり
- おばあちゃんの使わなくなった破れかぶれのストッキングとバナナを片手に、山にカブトムシを捕まえたり
- 清流でのヤマメのつかみ取りに参加したり
とにかく好奇心が満点でなにをするのもおじいちゃんについていくような子供でした。
「ぼくの夏休み」が似合うほど探検が大好きでした。
そんな私は小学校へ上がるとき、両親の都合もあり、ある町へ引っ越ししました。
今までよりも多くの子供と関わり、新しい生活に胸を躍らせたのを覚えています。
しかし、小学校生活は順風満帆とはいきませんでした。
そう「いじめ」です。
わたしは、もともと気が強いほうではないうえに、体重が重かったので、いじめっ子の標的になったのです。
なにをしても「太っちょのくせに…」や「デブのくせに」と暴言を吐かれたり
わたしの苦手な鬼ごっこに無理やり誘われ、ずっと鬼をやらされたり
暴力を振るわれることもしばしばありました。
ただ、毎日が「早く終わってくれ!」と思い、何の抵抗もできず、過ごしました。
子供は常に正直で残酷なので、「みんなと違う」私は標的のまとにしやすかったのです。
そんな小学生生活を終え中学校に上がると、さらに人が多い環境に移ることになりました。
中学校でも「また同じことが起こるんじゃないか…」と正直怖かったのを覚えています。
しかし、人数も多かったことが良かったのか、私は気の合う仲間たちと多く会えました。
また、体が成長するに伴い、私の体型もそこまで太っているようには見えなくなり、いじめられることはほとんどなくなりました。
「あー、良かった。これで楽しい学校生活を送れる」
と思いました。が今度は違う問題にぶつかりました。
それが家庭の問題です。
私の父はとても厳しい家で育ち、亭主関白な人でした。
何をするにも否定から入り、「ごめんなさい」や「ありがとう」もなかなか素直に言える人ではありませんでした。
父に非があっても、母にはもちろん、私や兄弟に対してもほんとに「ごめん」と言われることは一度もありませんでした。
そんな父のもとで育ち、何をしても怒られる日々。
「このやり方はだめ」
「あれもこれもだめ」
反抗期も相まって、顔を合わせるのも嫌になりました。
そして気づけば、「何もしない」
それが当たり前になりました。
私は「学習性無力感」でした。
今思えば、小学校のころから始まっていたのかもしれません。
学習性無力感とは、
抵抗も回避もできないストレスに長期間さらされると、そうした不快な状況から逃れようとする行動すら行われなくなること。
ポジティブ心理学の分野で知られるアメリカの心理学者マーティン・セリグマン教授が1967年に発表しました。
セリグマン教授は、実験に犬を用いて学習性無力感を証明しました。
- Aグループは部屋内のパネルを押せば電気ショックが回避できる状況を経験した犬
- Bグループは回避できない状況で電気ショックを受けた犬
結果
- Aグループはパネルを押せば電気ショックを回避できることを学習し、
- Bグループは最終的に何の抵抗もしないようになってしまいました。
それだけでなく、2匹の犬をしきりを飛び越えるだけで電流から逃れられる部屋に移したところ、
- Aグループは早々に仕切りを飛び越えたのに対し、
- Bグループは何の行動も起こしませんでした。
このように、自分が何をやっても結果が変わらないと学習することで、どんな状況に対しても行動を起こさなくなってしまうのです。
学習性無力感は人においても実験的に証明されております。
小学校や家庭で否定されることが当たり前だった環境で育った私は、自分では何もできないから
「なにもしない」
ことを学習してしまっていたのです。
ポンコツで居続けた学生時代
私は「何もしないこと」を好んで選ぶようになりました。
が、その後の人生は散々なものでした。
- 中学校の授業についていけず、高校受験をするも失敗
- 滑り止めの高校ではドベから2番目を常にキープ
- 大学受験でも、志望校の受験失敗で滑り止めの大学へ
- 大学でも成績はドベから2番目
- 実習ではレポートをゴミ箱に放り込まれたり、聞かれるか聞かれないかくらいの声で「バカ」と言われたこともあり、周りよりも多く実習へ行きました
私は絵にかいたような負け犬。
そして逃げることだけ学んだ逃げ腰根性。
私は努力して何か変わった成功体験がほとんどなかったので、ほんとに何もせず歳だけ取った大人になりました。
そんな私でも、乗り越えなければならなかったのが理学療法士の国家試験。
でも私は、実習が上手くいかなかったこともあり、「これは自分にはできない」っと国家試験の勉強をせず、仕事を探したり、違う職種を探したりしていました。
そんなわたしに声をかけてくれたのが友人でした。
「資格をとるだけとってみたら」と言ってくれたのです。
ほんと運がよかったと思います。
腹をくくり、その年の1月から勉強を開始。
その当時の成績はもちろんドベから2番目。
同年の3月に試験があるのに、1月時点で過去問でも103点しか取れていませんでした。
しかし、ゼミの仲間たちがこんな落ちこぼれの私に一生懸命教えてくれました。
その友人やゼミメンバーには本当に感謝してます。
その結果、私は無事国家試験に182点で合格でき、無事セラピストになれました。
友人が「努力すれば、何とでもなる」ってことを身を犠牲にして教えてくれ、何とか私は理学療法士になれました。
恩師との出会い
私は国家試験を合格できたことで、心を入れ替えて、努力しようと思いました。
が、人間そう簡単は変わりません。
私は、正直な話、就活がめんどくさくて、適当に病院へ就職することを決めました。
ダーツ投げに近いくらいほんと適当です。
匿名だからこんな話ができるくらい適当です。
なので、病院へ就職できたものの、努力はほとんどできませんでした。
そんなわたしが新人の頃、嫌でも症例検討会があります。
症例検討会は散々なもので、「学生さん以下ですね」と言われたことだけきっちり覚えてます。
もう二度とするか!と思ったくらい嫌な経験をしました。
そうして努力とは無縁の生活をしてPT3年目。
ある日、同期のOTが「勉強会に行ってみない?」と誘ってくれました。
私は、勉強することにとんでもないコンプレックスを持っていたので、正直行きたくないなと思っていました。
しかし「誘ってもらったのに悪い」と思って、いやいやながらも勉強会へ行きました。
するとそこで講師の人が放った一言目は、
「私の言うことは嘘だと思って聞いてください。」でした。
正直「なに言ってんだ」って思いました。
さらに「わからなくてもいいし、失敗してもいいです。でもしゃべらないのはダメ」と言われ私は「来るんじゃなかった」とショックを受けました。
今までの私の人生の辞書には、
「間違えたら怒られる」
「失敗は恥である」
「失敗するくらいなら挑戦しない」
これが普通でした。
その真逆のことを言われたので、戸惑いを隠せません。
それでも講義は進み、ディスカッションの時間もやってきたので仕方なくアウトップしました。
講義は終わり、「もう二度と勉強しない。」と思っていたら、
なんと現場に戻っても記憶に定着しており、普段よりリハビリが分かるようになりました。
私が怯えていたのは、ただ「失敗すること」だったのです。
そのあとの私は積極的に失敗ができるようになり、いろんな知識を身に着けました。
「被殻出血だから、こうしたらいいんだろうな…」と予測が行えるようになり、面白いくらい成果も出るようになりました。
失敗してもいいことを学んだことで、機能解剖を徹底的に学び、疾患ごとの知識と経験も蓄積。
そして、疾患ごとの共通のパターンを発見しました。
「失敗してもいい」この一言が私を変えたのです。
そうすると、周りの人の見る目や態度が変わり始め、
「ここがわからないから教えてほしい」
「この人どう思う?」
「新人の指導してほしい」
と明らかに頼られるようになりました。
そこで、疾患ごとの知識と経験も蓄積したものを使いやすいようにパターン化。
さらに改良を重ね、だれでも使えるようにアレンジしました。
実際に同期や後輩に試しに使ってもらうと全員が成果を出すことができました。
お客さんの声
私がここまでチャレンジできるようになったのは友人やその時の講師おかげで、今でもとても感謝しています。
そして、私自身がこのような経験をしたからこそ、
勇気のあるあなたには「できない」→「できる」と成功体験をしてほしいし、
臨床が「楽しくない」→「楽しい」となるようなお手伝いがしたいと思うようになりました。
私はたくさん失敗しましたが、そのおかげでたくさんの成功法則と成功体験を重ねることができました。
今の私があるのは、「失敗してもいい」その精神でズタボロになりながらもチャレンジした結果だと思っています。
それでも、失敗することは怖いし、できれば失敗したくない。
それが本心です。
なので、私はこのアカウントを使って、あなたの臨床を改造し、楽しくなるようなサポートをしたいと思っています。
私は研修会だけで100万以上使ってきたし、後輩をたくさん育てる経験もさせていただきました。
機能解剖の知識を使って、あなたが楽しく仕事ができるように、サポートできるよう今後発信していきます。
あなたが最近楽しいと笑って過ごせるような発信をしていきますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
最後まで読んでくれてありがとうございました。